ナンアンドナン

オタク怪文書

オタクの海

数年間、私は自分がオタクでソシャカスなやつだと理解していました。アニメやマンガが好きで、当たり前のように持っているスマートフォンにゲームをインストールしては徹夜で遊ぶ、金も時間もつぎ込みまくる、もう典型的な現代人にカテゴライズされるようなやつですよ。Twitterをやらせてみれば、話題はそればっかりで、付随して、声優さんの発言がSNSを介して見えるようになり(いい世の中です)、あらゆる方向からの引力にされるがまま、のめり込んでいったりして、オールウェイズてんやわんやです。そうやって、色んなジャンル、業界、カテゴリに手を出していくうちに、自分が何を好きだったのかを忘れました。
たとえば、Twitterのプロフィールを書くとき、自分を一言で表す言葉がないんです。昔は「秋山澪がすきだ」とだけ書いておけば、それは私でした、へへへ。でも、今はあのアニメとあのアニメが好きで、ソシャゲはどれそれをやってます、絵を描きます、実況もしちゃいます、云々...。中身からっぽの人間のくせしてカテゴリはいっちょ前にてんこもり。オタクの年季も相まって、自分が見えてきたのかもしれないです、けれど、蓋を開けてみれば、ひとつひとつのカテゴリに対してそこまで掘り下げているわけでもないんですね、これが。かわいい~とか、かっこいい~とか、よかった~とか、そんなの猿でも言えることばかり言ってるような気がします。むしろ、猿なんです。私が、秋山澪ちゃんに夢中だった頃はもっと、色んなことを考えていたように思います。単純に、かわいいとか、かっこいいだけで、彼女というキャラクターを表せなかったはずで、あのときみたいに、もっとひとつのことに対して夢中になりたい、そんな薄っぺらい感想だけで好きなものを語った気になりたくないと思ってるんです、本当は。

オタクはそろそろTwitterで考えていることが同じ人なんていないと学んでいるはずですし、そんな共感を極めた言葉で自分の好きなものを完結させないで、もっと、みんながみんな語りまくって収拾つかないくらいがちょうどいいんじゃないかと思います。せめて、どこがかわいいとか、ここがかっこいいってのを、ね、ちょっとだけ、先っぽだけ!まぁ、そんな未来は来ないでしょう。どうせいつまでも、かわいいかっこいいの洪水でちゃんちゃんでしょう。本日のかなしみでした。